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    「いゝえ、なんの。おれんとこへなんか。――あんたは忙しい身だもの」

    と、声をかけたが、返事がなかつた。間を置いて、今度は高い声を出すと、しばらくたつて、横手の襖ふすまが殆ど音を立てない位にそつと開いて、半白の頭を円坊主にした、痩せて黄ばんだ皮膚の五十がらみの男が、きよろりと驚いた眼をして、口を半ば開けたまゝのぞくやうに現はれて来た。

    「これを御大典のお祝ひ日に着るんですつて」

    「お粗末ではござりまするが、どうぞごゆるりと」

    それは杉倉といふ所から来た。塔の山とは反対に、ずつと上手に河原町を出外れて、それから更に急坂を一里ばかり上つた所の、相沢といふ家だつた。相沢と云へばこの近所では誰も知らぬ者はない、そんな不便な土地でありながら大きな酒造家である。使ひの者が来て、急ぎはしないが明日あたりにでも往診してほしい、と云ふことだつた。房一にはそんな相沢みたいな家から往診をたのまれやうとは意外であつた。

    徳次はすつかり感心したとも、又その反対ともとれる云ひ方だつた。

    半シャツの男が進み出た。

    「相手は誰です?こゝの御隠居ですかい」

    「ふん」

    「うん、寄りがあるからな、あんたはうちに帰つとんなさい」

    「印度洋の方では、何とかいふ軍艦がたつた一隻で荒あばれまはつているんだつてね。それがちつとも捉つかまらないと云ふから面白いねえ」

    と、誰かが大声で叫んだ。

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